「この子をプロにする」
子供がプロになれたらいいな、と淡い期待を抱いている親御さんは結構いると思いますが、本気でプロにすることを考えている親御さんもいます。
本気の親御さんの中には四六時中子供のサッカーのことで頭がいっぱいの人もいます。
そして必然的に子供のサッカーを何よりも優先する生活スタイルが出来上がっています。
子供が小さな頃から特定の教育を受けさせることを世間では英才教育ともてはやす風潮がありますが、英才教育は一歩間違えばたくさんのことを犠牲にするリスクがあることはあまり注目されていません。
今回は息子の友人A君のお話をしたいと思います。
子供のサッカーにおける英才教育
サッカーの英才教育ってどんなイメージでしょうか?
Jリーグ下部組織に入ることをひとまずの目標にして、子供の成長のために必要なことを親が最も効率よく・根気よく叩き込む、というのが世間一般の人が抱いているイメージかと思います。
あの久保建英選手も幼少の頃からお父さんとトレーニングしていたのは有名な話です。
サッカーだけに限らず様々な身体を使う遊びに親しんでいたそうですが、久保選手のケースも英才教育の一つの形ではないでしょうか。
サッカーにおける英才教育のメリット
- 飛び抜けたスキルが身に付く
- 高いレベルに意識が向く
- 努力する習慣が身に付く
周りの子よりもサッカーに触れ合う密度を濃くすることなので、必然的に技術面では同年代の頭一つも二つも抜けたものが身に付きます。
また、高いレベルの環境を求めて強豪チームに所属することが普通であり、レベルが高い子と切磋琢磨することで意識を高く持つことができます。
どちらも努力の積み重ねがあってこそ。自ずと努力することが習慣になります。
いずれも上のレベルを目指すなら非常に重要なメリットだと思います。
サッカーにおける英才教育のデメリット
- 仲の良い友達がいない
- 自分で考えて行動できない
- 自分のためにサッカーをしない
あくまで親が過干渉になりすぎた場合に起こりうるデメリットだとご理解ください。
学校以外は常にサッカーという生活を送る場合、友達と遊ぶ時間が取れない環境になります。
親が子供のサッカーに対しての損得勘定だけで物事を判断している場合は、友達と遊ぶことよりサッカーを優先させるので、友達と関わること自体が制限されてしまうこともあります。
結果として学校でもサッカーでも孤立する子になってしまいます。
また、親が効率を求めるあまり全てのレールを用意してしまいがちです。
子供は親の指示にしたがっていればよいので、生活の中で自分で考えて行動する場面で何もできない子になります。
さらに酷い場合は親の顔色を伺う子になってしまうので、自分のためのサッカーではなく親のためにサッカーするようになってしまいます。
どれも行き過ぎた親の過干渉・過保護が原因です。
英才教育でA君が失ったもの
A君は低学年の頃に息子のスクールに入ってきました。
元々は地域少年団にも入っており、素直でガッツがある子でした。
1年ほどして強豪チームにセレクション入団してからはグングン上達し、ほどなくして有名スクールのセレクションに合格したということでスクールは退会していきました。
順調なステップアップに見えるかもしれませんが、A君にはいくつか心配な部分がありました。
- 友達と話さずに親とばかり話す(コミュニケーションは?)
- 味方を責める(リスペクトは?)
- プレーの度に親を見る(サッカーの目的は?)
コミュニケーション力の不足
A君は練習前も練習後もチームメイトとボールを蹴ったりはせず、会話するのも親とだけです。
チームメイトの輪に加わりたそうな素振りは見せるのですが、一人でリフティングやボールタッチの練習をします。
どうもお父さん・お母さんから遊びのサッカーはするなと言われているようでした。
コミュニケーションが取れていないためか周りの子供達との関係性もあまりよいものとは言えず、試合でも連携して崩すようなプレーはほとんどありません。
今後のサッカー人生においてチームメイトとのコミュニケーションを取れるのかという心配はもちろんですが、それよりも普通の子供らしさを育む機会を失ってしまっているのが残念でなりません。
リスペクトの精神が育っていない
プレー中はよく声を出すのですが、味方のプレーを責める点が目につきます。
味方の判断が正しいものであっても自分の意図しない判断だと責めるので、コーチからは叱責されることも多々ありました。
強豪チームにセレクション入団できたことで少し天狗になっている部分があったんだと思います。
協調性や味方をリスペクトする精神はサッカーを通して自ずと身に付くものだと思いますが、他の子と比べて不足しているのがこの先気がかりです。
サッカーはチームスポーツなので味方と互いに信頼しあって初めて成り立つものだと早く理解できることを願っています。
サッカーの目的を見失う
良いプレーをした後も悪いプレーをした後も必ず親の方を見ます。
両親からの期待に応えたいからだと思いますが、裏を返せば過剰な期待を背負ってサッカーしているということです。
サッカーをする目的が楽しいからではなく、お父さん・お母さんに褒めてほしいからになってしまっては本末転倒です。
いつか期待を背負うことに疲れてサッカーから離れてしまうのではないかと危惧しています。
英才教育はハイリスク
子供の可能性を信じて英才教育することが悪いことだとは思いません。
ですがサッカーを通じて得られる楽しさや子供らしさまで犠牲にするのは間違っていると思います。
子供時代の全てをサッカーに捧げてもプロになれる保証なんてありませんし、プロになれたとしても一握りの子だけというのが現実だと思います。
子供が将来立ち止まった時、サッカー以外の選択肢が何も無いような人生でよいのでしょうか。
英才教育は一歩間違えばハイリスク・ノーリターンであることを肝に銘じておきたいですね。
ではでは。